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大好き♪魚沼盛り上げ隊!

魚沼には地元を愛し、盛り上げていこう!と頑張っている人がたくさんいます。そんな「魚沼大好き人」を紹介し、リレーでつないで魚沼の輪を広げていきます。

 

2015年2月28日

大好き魚沼盛上隊 星瑞枝さん

星 瑞枝(ほし みずえ)さん
アルペンスキー選手。魚沼市湯之谷地区出身。トリノオリンピック日本代表を始め国内外の大会で活躍、昨年10月に現役引退を発表。現在は魚沼に帰郷しスキースクールの講師などを行いながら今季大会への出場をされています。
魚沼が好き、という瑞枝さんにインタビューをさせていただきました。

―瑞枝さんがスキーを始めたきっかけは?また何歳から?
 もともと父がアルペン(スキー)の選手だったのもあり、兄弟でしていました。始めたのは4歳くらいから。年長さんくらいから大湯スキー場、4年生くらいから薬師スキー場をよく利用していました。ナイターで浦佐スキー場も利用しました。

―小学生のころからお兄さんと一緒に活発に動かれていたそうですね。
 運動はすごく好きでした。

―スキーのほかのスポーツもされていたんですか?
 小学生のころはいろいろしていましたが、スキーがメインでした。親と一緒にしていたのはテニスですね。地元にテニスコートがあったことと、お父さんがテニスをやっていたからですかね。

―やっぱり他の運動も大切になってくるんですか?
 そうですね。ただ、テニスをしたことによって(バランスの)左右差がついてしまいました。スキーって左右対称の動きが必要なんですけど、右利きだったので左側に体が曲がる癖がついてしまって。スキーでもなかなかその癖が直らなくて大変でした。スキーをメインでする人は左右差の少ないスポーツがいいですね。後々とてもこの癖で苦労したので。

―小学生のころからスキースクールなどに所属してトレーニングを続け、中学生は夏場テニス部に所属し冬はスキーをして過ごしたそうです。

―大変だけど楽しかったですか?
 練習は嫌な時があったけど、大会に出ると勝てるからそれがすごく楽しかったですね。

―その後高校、大学…とその後
 大学(日体大)で卒業後に2年間職員として働く傍らトレーニングをしていました。

―そうすると、トリノ五輪の時は大学2年生ですね。昔からオリンピックは目標だったんですか?
 小学校6年生の時からの目標ですね。当時長野五輪があって、それが衝撃的でした。ここに行きたいって。

―それは見た選手からの影響を受けて?
 滑りは別に見ていなかったですし、長野にも行ってないです。テレビで見て、オリンピックっていう世界をその時初めて知って、卒業文集にそのことを書いたんです。で、その当時の担任の先生が生徒一人一人の卒業文集の内容に合ったプレゼントをしてくれたんですよ。

―へー!
 私はオリンピックの事を書いていたので、先生が、たぶん長野まで行ってスノーレッツ(長野五輪の公式キャラクター)のグッズを買ってきてくれて。その事も影響していると思いますね。

―オリンピックに出たい気持ちが強くなったんですね。
 この後に浦佐でスキーの大会があって、優勝者インタビューで「オリンピックに行く」って言ったんですよ。それくらい私に火をつけた出来事ですね。

―それで叶ってしまう。すごいですね!
 逆に言えば、テレビの前で宣言している。ことが自分にも親(周り)にも影響があったと思いますね。

―そんな中で、現役生活で大変だったことなど
 中学校2年の時に、上越にあった盛田スポーツ財団(現在は無いそうです)という選手強化の団体から声をかけていただいて、週末にはそこへトレーニングに行っていました。海外遠征にも連れていってもらいました。当時、送迎をしていたお母さんは大変だったと思います。
その後、高校は盛田スポーツ財団を通じて活動ができる、上越高校に進学しました。設備も整っていて、そういう面では私はとても恵まれていました。

―大学時代は?
 勉強とトレーニングの時間の両立が大変でした。1年生の頃は寮にいて、1年生は夜9時までにお風呂とごはんを終わらせるルールがあったりしてトレーニングの時間が2時間程しかとれなくて。今振り返ればやっておいてよかった(寮生活を)と思うけど、トレーニング時間が無くて先生に頼み込んで…学校の沿線に住んでいる姉に親代わりをしてもらえるなら寮を出ていいよって許可をもらって。本当は4年間寮で過ごさないといけないんですけど。特例で。通学に慣れるまでも大変でした。
 あとは、海外遠征などに行くと単位の取得がギリギリで単位を取るのにも苦労しました。大会などは公認欠席という「派遣されて、出場しているので欠席を許可する」というものがあったんですけど、それがあってもギリギリで。大会前日や大会後どんなに疲れていても出席して授業を受けていました。私の在学していたころは前期に後期の授業をとることもできたので、それもしました。

―逆にうれしかったことはありますか?
 …そういうのはあんまりないですね(笑)あるとすれば、その時々で自分の成長を感じられたときですね。嬉しい時の記憶ってすぐなくなるんですよね。日本人独特の部分でもあると思うんですけど、苦しかった時の方が記憶に残る。昔良かった時の自分が記憶に残っているから、それと比べちゃうと成長してないように感じてしまうんです。調子が悪い時はどうして悪いか分からない、いい滑りをしたと思ってもタイムが良くないのは、昔のいい滑りで成長してからのいい滑りじゃないから。逆に言うと良くないなーと思った時が結果的には良かったり。これは現役を引退して、時間が経ってから気が付いたことですね。
 どちらかというと私は本能的な感覚タイプで、ノートを書いても読み返さない。その時の感覚で良かった時の滑りばかり覚えているから、上手く自己分析ができなくて成長しにくい時期もありました。

―練習しても結果が上手く出ない時期もありましたか?
 私、怪我が多くて。怪我は治っているから頭は大丈夫と思っていても体がかばっていたり。どっかで自分の中でセーブしていた面がありました。

―怪我は足が多いですか?
 そうですね。何回も。

―今は日常生活に支障はありませんか?
 今は、最後にした怪我が若干痛むときがあります。お母さんにケガだけはするなって言われているのにチームの中では一番してますね。

―お話を聞いていると、大変だったことの記憶の方が大きいですね。
 本当にうれしかった時の記憶はトリノ五輪ですね。

―夢が叶って、その場に立つというのは不安より、楽しさや嬉しさが強い?
 緊張はあまりしなくて、不思議なんですけどずっと目指していたところ、会場にいることがまず“ふわふわ”していて、嬉しい気持とちょっとした不安に近いもやもやした気持ちと…色々な気持ちが混ざった、ふわふわ感でした。
 オリンピックの他の大会で自分の位置、実力が分かっているせいかすごく冷静で緊張しませんでした。欲張らず、小さいころからの夢の場所で自分に持てる実力でやろう、っていう。そうしたらプレッシャーもあまり無くて。
 オリンピックはすごく暖かいんです。ワールドカップは逆にピリピリしていて、個々(の戦い)。オリンピックに出てくる選手はみんなが応援してくれる、家族が来てくれたり、同じ国の人が応援してくれて、全然雰囲気が違うから心の余裕が少しありました。

―ある意味すごく楽しんで臨んだ大会ですね
 さすがに2本目は緊張しました。スキーって1本目で30番以内に入ると30番リバースがあって30位だったんですよ。だから2本目が1番スタートだったんです。今まで1番スタートになる事があまりなくて、いつものルーティーンが上手く出来ませんでした。そこまで厳格なものじゃなくてなんとなくのものなんですが、最後のイメージトレーニングのタイミングだったり、準備だったりがいつもと違って緊張しました。

―現役引退は昨年の10月でしたが、現時点で大会にも出場していますよね、引退というと実際にどういった状態のことなのでしょうか?
 世界やチームとして一線の大会に出ない、ということでしょうか。スキーの現役引退の時って戦績に関係なく大会で滑って終わる、という事が多いんです。私は10月に発表してしまいましたが、有難いことに引退を発表してから滑らせてあげたい、という方が何人もいらっしゃって。今年の全日本スキー選手権大会in苗場(3/18~20)で引退の滑走をする予定です。

―引退までの経緯を教えていただけますか
 今までは怪我より気持ちが勝っていたんですが、昨年7月の怪我で気持ちが弱くなってしまって、もう無理だなって。手術した半年後にリハビリを始めたときに、いつもと違うなって。そういう気持ちが出てきた時点でかなり落ちてる、初めて自分の声を聴いた時にすごく不安で。どうしたらいいんだろうなって。どんなに頑張ってリハビリをしても、今まで自分がいたレベルに戻れなければそれ以上の結果は出ないじゃないですか。それには戻れないってわかってしまった。今までやってきた以上に過酷なリハビリを今の自分が出来るかって考えたときに、もう出来ないと思ったんです。
 9月頃に周りの人に、(引退を)考えていると報告しました。10月の頭に全日本スキー連盟の理事会があってそこにコーチから報告してもらったその日にニュースになってしまって。ちょうどその日が金曜日で、私としては間をあけて月曜日に発表するつもりでいたんです。なのに、出てしまって。タイミングもタイミングで周りも復帰すると思っていた時期で(ブログなどで)弱音を出さないから毎日頑張っていますって載せていたところだったんですよね。まさかっていう。

―そう思いました。(しょんぼり)
 そうなんですよ。周りからなんでって。

―引退後はどうお考えでしたか?
 自分もこのタイミングで辞めるとは思っていなかったので、何も考えていなかったです。11月にとりあえず地元にいようとかなと思っていました。その時にカスタムの星直樹さん(魚沼市内のスポーツショップ、奥只見スノーアカデミーの校長)に相談したら、私が勉強したいと言っていたのもあるんですが、今シーズンうちでキャンプ(予約制のスキーレッスン)やるかって言ってくれて。いきなり個人のキャンプをすることは出来ないし、人脈もないし、まずは2~3年勉強したい事を知っていてくれて。
(奥只見スノーアカデミーさんで行われるレッスンは国内でも有数の講師陣が揃っていて完全予約制の教室ですが、予約が始まるとすぐ埋まってくるそうです。)

―私たちの希望としては地元に居てほしい気持が大きいので、これは嬉しい事です。
 そうですね。既に12月からキャンプをやらせてもらっています。今までも少し行っていたんですけど、今まで見えてなかったところが見えてきました。回ごとのお客さんの反応だったり、私が言ったことの受け取り方が人によって違ったり。やっぱりスキーって感覚的なスポーツなので同じことをしても人によって違うんですよね。逆に勉強になります。自分との感覚の違いだったり、お客さんから教えてもらっていることは今すごく多いですね。

―今後の目標は?
 滑れる指導者ですね。選手の気持ちが分かる指導者、今ある状態を維持していきたいですね。
 体育の時間が減ったり、運動が軽視されていますが運動の大切さを伝えたいです。

―趣味や休日の過ごし方
 時間があればネイルをしてもらいます。休日は野沢温泉の温泉に入りに行きます、ずっとお世話になっている宿があって。あとは美味しいごはんを食べたり。写真を撮るのも好きです。
 
お友達がしてくれるというネイル
 
よく見ると雪の結晶が入っています!

 
交流センターユピオにて開催中の、東湯之谷コミュニティー協議会第二回写真コンテスト(~3/15まで展示)で見事特別賞を受賞した作品。この他にも2点瑞枝さんの作品が展示されています。
また、来月3月1日に折立温泉で行われる百八灯にも作品を出展しているそうです!

―魚沼の好きなところはどこですか?
 自然が好きです、魚沼は居るだけでいい。場所でいうと春・夏・秋の薬師スキー場のリフト降り場ですね。(リフト降り場のところが山頂学習広場になっており、スキー場とは別に登れるように道があり車での乗り入れも可能。)景色を一望できて、すごくいいんです。春なら風がいいし、夏もちょっと暑いですけど風がいい。秋は稲穂がいっぱいで黄色いじゅうたんが見下ろせます。夕方の夕日の綺麗な日は特にいい。
 他には、枝折峠の登山口やほそど渓谷、須原スキー場や道光高原も好きです。自転車に乗るようになってから市内を巡るようになりました。

―「瑞枝米」について
瑞枝米とは…瑞枝さんの応援資金のために、瑞枝さんが瑞枝ファンと一緒に生産に係わって作ったお米のこと。販売額の一部が瑞枝さんへの応援資金になるお米です。
 今後は地元のこども達のスキー育成に関する応援資金とか、少しひねって買ってもらえる内容にしたいですね。農家さんとしても、食べたいと思ってくれた人に応援してもらえるものにしていけたらいいですね。

 
最後に米々じいちゃんとパチリ。うぇる米もこっそり宣伝してもらいました。

星瑞枝さんありがとうございました!

そして、この取材後に行われた「ぐんま冬国体」、成年女子B女子大回転で見事優勝されました(^-^)


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